【ヤロスラーブリ副市長の話の要旨】
広島・長崎・チェルノブイリはお互いに想像を絶する悲劇だった。お互いに研究し、文学作品などにしても、事実を残していくことが大切だ。ロシアでは、チェルノブイリの救済は国レベルでもやっているし、そのための運動も、核の平和的プロジェクトも立ち上げている。同じようにロシア国民が懸念していることは、核が戦争に使われるのではないかということ。国、地方、町村のレベルに至るまで、原子力の開発は考えても、決して生活を脅かすことはしてはいけないと確認しあっている。日本でも、広島・長崎の後でも事故がおきているので、国民が関心を持っていること知っている。今日、同じ事を考えている人たちが会うことができ、嬉しく思う。ようこそヤロスラーブリへいらっしゃった。市の社会福祉部門の担当者や6つの区の社会福祉にたずさわっている人たちやローカルテレビ局も来ている。
【村田さんの挨拶】
広島から来た。歓迎のお言葉に恐縮している。ご挨拶の中で「核の平和利用」ということを言われ、心強く思った。被爆者として感じることは、ロシアが一番多くの核を持っているということだ。非常に懸念している。人間と核は共存できないということを、殆どの日本人は確認している。被爆者は、今日もエジプトやアメリカに行き、核兵器を無くそうと努力している。1日も早く核兵器をなくすことを絶大なお願いとして挨拶とする。核兵器をなくすことを、こちらの子ども達の将来のためにも大切だと強調したい。
【ヤロスラーブリ副市長の話】
ロシアになって核兵器は減った。他の兵器もソビエト時代より減った。まもなくヤロスラーブリは1000年祭を迎える。ここに一番最初に住み始めたのは8世紀から。1010年にヤロスラフ賢公が町を建設した。現在人口70万人のこの町だけのお祭でなく、全ロシアのお祭なので、プーチンも予算を組んでくれた。ヤロスラ-ブリ市街の歴史地区は世界遺産に登録されている。
【坂東の質問】
チェルノブイリに行ったことがある。ヤロスラーブリ市では、被災者にどのような福祉を提供しているか?
【ヤロスラーブリ副市長の話】
今、この部屋にいる人達は、今日、ちょうどチェルノブイリで被爆した人たちのための会議に出席した人たちだ。
【バロージャの細補足説明】
坂東さんはチェルノブイリに行き、本を書いて救援物資を集めた人だ。浅妻さんは「はだしのゲン」のロシア語版を翻訳して出版した人だ。村田さんは5歳の時に被爆したので、ゲンは村田さんのようだ。彼は学校で署名を頼んでいるが、「そんな署名が何の役に立つか」という質問がでるが、村田さんは、大勢の人が声を上げることが大切だと言っている。ドキュメントフィルムの多くの感想は、恐ろしい、知識が増えたということだけでなく、苦しみを心で感じたというものだった。
【福祉担当者の話】
皆様の広島・長崎に、私たちも心を痛めている。ヤロスラーブリにはチェルノブイリで亡くなった人たちのための白いコウノトリの記念碑がある。国家の補助としては、物質的な援助。それをつかさどっているのが、今日ここに集まっている人たちだ。生活補助金が支払われている。1986年から87年にチェルノブイリに住んでいた人たちと、事故処理をした人が対象になっている。現地にいた月によって違うが、月額1150ルーブル支払われ、毎年状況が変わるので、必要に応じて金額を追加して調整する。食糧も追加し、1年に1回は健康維持のための手当ても出す。実際、チェルノブイリで事故にあって、身体障害者になった人には倍額出している。事後処理に行って、体に障害がある人には、1年に1回、健康の為に14日間の休暇を与えているので近郊のサナトリウムに行ったりしている。
【ヤロスラーブリ副市長の話】
4月26日は事故関係者全員仕事をしない。行事は国民的規模で行われている。ヤロスラーブリでは、記念碑を建てたので、そこで行事をする。アパートやマンションなども50%は市が負担している。そして要望があれば、それに応えるようにしている。
(資料文責 坂東弘美)