2007年11月01日

外部団体での被爆証言 ロシア側との交流の様子 資料4

午後3時から市役所表敬訪問。道中バスの中から初めて市内を見ました。古い寺院が美しい、歴史のある街並です。市役所の会議室なのか、副市長さんと会見。大きな部屋の周りに女性が20人くらいと男性が1人座っていました。

ヤロスラーブリ副市長の話の要旨
 広島・長崎・チェルノブイリはお互いに想像を絶する悲劇だった。お互いに研究し、文学作品などにしても、事実を残していくことが大切だ。ロシアでは、チェルノブイリの救済は国レベルでもやっているし、そのための運動も、核の平和的プロジェクトも立ち上げている。同じようにロシア国民が懸念していることは、核が戦争に使われるのではないかということ。国、地方、町村のレベルに至るまで、原子力の開発は考えても、決して生活を脅かすことはしてはいけないと確認しあっている。日本でも、広島・長崎の後でも事故がおきているので、国民が関心を持っていること知っている。今日、同じ事を考えている人たちが会うことができ、嬉しく思う。ようこそヤロスラーブリへいらっしゃった。市の社会福祉部門の担当者や6つの区の社会福祉にたずさわっている人たちやローカルテレビ局も来ている。

村田さんの挨拶
 広島から来た。歓迎のお言葉に恐縮している。ご挨拶の中で「核の平和利用」ということを言われ、心強く思った。被爆者として感じることは、ロシアが一番多くの核を持っているということだ。非常に懸念している。人間と核は共存できないということを、殆どの日本人は確認している。被爆者は、今日もエジプトやアメリカに行き、核兵器を無くそうと努力している。1日も早く核兵器をなくすことを絶大なお願いとして挨拶とする。核兵器をなくすことを、こちらの子ども達の将来のためにも大切だと強調したい。
【ヤロスラーブリ副市長の話】
 ロシアになって核兵器は減った。他の兵器もソビエト時代より減った。まもなくヤロスラーブリは1000年祭を迎える。ここに一番最初に住み始めたのは8世紀から。1010年にヤロスラフ賢公が町を建設した。現在人口70万人のこの町だけのお祭でなく、全ロシアのお祭なので、プーチンも予算を組んでくれた。ヤロスラ-ブリ市街の歴史地区は世界遺産に登録されている。

坂東の質問
 チェルノブイリに行ったことがある。ヤロスラーブリ市では、被災者にどのような福祉を提供しているか?
【ヤロスラーブリ副市長の話】
 今、この部屋にいる人達は、今日、ちょうどチェルノブイリで被爆した人たちのための会議に出席した人たちだ。
【バロージャの細補足説明】
 坂東さんはチェルノブイリに行き、本を書いて救援物資を集めた人だ。浅妻さんは「はだしのゲン」のロシア語版を翻訳して出版した人だ。村田さんは5歳の時に被爆したので、ゲンは村田さんのようだ。彼は学校で署名を頼んでいるが、「そんな署名が何の役に立つか」という質問がでるが、村田さんは、大勢の人が声を上げることが大切だと言っている。ドキュメントフィルムの多くの感想は、恐ろしい、知識が増えたということだけでなく、苦しみを心で感じたというものだった。

福祉担当者の話
 皆様の広島・長崎に、私たちも心を痛めている。ヤロスラーブリにはチェルノブイリで亡くなった人たちのための白いコウノトリの記念碑がある。国家の補助としては、物質的な援助。それをつかさどっているのが、今日ここに集まっている人たちだ。生活補助金が支払われている。1986年から87年にチェルノブイリに住んでいた人たちと、事故処理をした人が対象になっている。現地にいた月によって違うが、月額1150ルーブル支払われ、毎年状況が変わるので、必要に応じて金額を追加して調整する。食糧も追加し、1年に1回は健康維持のための手当ても出す。実際、チェルノブイリで事故にあって、身体障害者になった人には倍額出している。事後処理に行って、体に障害がある人には、1年に1回、健康の為に14日間の休暇を与えているので近郊のサナトリウムに行ったりしている。

ヤロスラーブリ副市長の話
 4月26日は事故関係者全員仕事をしない。行事は国民的規模で行われている。ヤロスラーブリでは、記念碑を建てたので、そこで行事をする。アパートやマンションなども50%は市が負担している。そして要望があれば、それに応えるようにしている。
(資料文責 坂東弘美)


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外部団体での被爆証言 ロシア側との交流の様子 資料3

 創立200年の歴史を誇る古い学校に行きました。数学とスポーツに力を入れている学校で、学生の数学の世界コンクールでは世界1位になったとことが2回あるそうです。10時15分から11時30分まで、DVDと村田さんの話。ここでもバロージャが被爆者と原発事故の関係を説いていました。実際DVDは、1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験で、日本漁船「第五福竜丸」が被爆し、無線長の久保山愛吉さんが「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い遺してその年に亡くなった事も伝えており、この事件をきっかけに日本の原水爆禁止運動が急速に高まったとしています。

被爆者村田さんの話
 1945年の8月6日の朝。5歳だった私は家にいて、戦闘ごっこをして遊んでいた。瞬間に光ったと思ったら、隣の家の、家の中まで吹き飛ばされて奇跡的に助かった。46年末まで寝たきりで何度も死に掛けた。4人の姉のうち、下2人の姉は1人は即死、1人は1ヵ月火傷で苦しみ、肺にうじ虫がわき、うじ虫とともに9月10日に死んだ。母は8月8日、グラマンの機関掃射で死んだ。兄は士官学校を出て空中戦で死んだ。将来ロシアを背負って立つ皆さんに、ぜひ知ってもらいたいことを話す。
 62年前原子爆弾は3発だった。7月にアメリカがネバダで実験し、8月6日と9日に広島と長崎に落とした。この時点で地球上では核兵器はなくなった。その後旧ソ連とアメリカが核兵器をどんどん作り、最高の時は地球上に5万発の核兵器があった。スウェーデンの国立アカデミーが作った「1985年6月に世界で核戦争がおきたらどうなるか」という本は世界の学者が書いていて、ソビエトの学者も書いている。8億5000万人が即死。数ヶ月のち、生き残った者のうち、45%が死ぬ。幸いに生き残った人たちも、核シェルターから出たら死んでいく。それでも辛うじて生きた人も、汚れた空気でやがて死んでいく。最後に生き残るのはゴキブリとネズミだけ。マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた実験は、広島型の1000倍のものだった。モスクワの上空でミサイルが落ちたら、ヤロスラーブリも地獄の状態になる。もし間違ってボタンを押したら誤差は1キロもなく30分後には落ちている。
 テレビを5時間くらい借り切って私がロシアの人に話せればいいのだけれど、私にはその力がない。国民の声で指導者を包むことができると私は信じているので、今日話を聞いた30人が、それぞれ5人に話してくれれば、150人に伝わることになる。今見たビデオで、レーガンとゴルバチョフが握手していたが、それで、核兵器が5000発減った。今は28000発になった。この国はあなたたちのもの。若い人たちに実現してほしい。あなたたちが頑張って素晴らしい国を作ってほしい。
●日本の若者は核廃絶のために、どのように運動しているか?
関心のある者、ない者、両極端だ。8月6日と9日の原水禁世界大会では、ロシアからは被害者がくるが、アメリカやフランスからは数百人の規模でやってくる。日本では数千人の規模で集まる。

副校長の話
 学校を代表して、本日のお話に感謝する。学生達は前から広島・長崎は知っていたが、現代史の学習の中で、これからも授業として話していく。第二次世界大戦ではソ連でも2700万人死んだ。核廃絶は世界が相手の戦いである。緊急の問題として平和が大切であるということは子ども達も分かっている。だから、日本の皆さんと私たちの努力が1つになり、大きな力になることを希望する。今のところクリントンもブッシュも核廃絶にサインをすることはなかったが、ロシアは他の事に一生懸命だ。平和の為に努力すべきだ。
講演の後の村田さんは列を作って、レジメにサインを書いて欲しいと待つ学生に囲まれて大変でした。
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外部団体での被爆証言 ロシア側との交流の様子 資料1

かつて、北京放送日本語部に勤務していたフリーランスアナウンサーの坂東弘美さんは外部団体での被爆証言に同行、その時のロシア側との交流の様子を取材しました。

平和委員会会長の話
私たちも色々な災難にあっている。私は第二次世界大戦にも参加している。1954年からは化学部門の仕事をしていたので、核兵器がどんなに恐ろしく、原爆がどんなに悲惨なものか、よく知っている。私たちは戦争に絶対反対だし、核は廃絶すべきであると考えている。子どもたちが「空爆」とい言葉を聞かないようにするのが、私たちの目的で、皆さんと同じである。化学者という立場もあって、日本の731部隊のことも承知している。バクテリアはカザフスタンやロシアにあるが、ロシアは放射能・バクテリアを撲滅しようとしている。アメリカは原子爆弾を落としたが、パキスタンやユーゴスラビアは劣化ウランを利用している。私はヤロスラーブリの工科大学で教鞭をとっていたが、学生達には化学兵器に反対することを教育してきた。現役を退いてからは核兵器に反対する運動を始めた。皆さんや私たちは間違っていない。核だけでなく、すべての武器を手にしないことが大切だ。 


作家同盟のグーシェフさんの話

 私は日本の芥川龍之介を崇拝している。ここにいるアシアンさんはタタール人だ。子どもたちのために、戦争を起こさないようにすることが、何より一番の課題である。ここにあるアルバムは、平和の為にヤロスラーブリを訪れた人達にメッセージを書いてもらっているので、今日も記念に1ページを使う。このアルバムがいっぱいになったら、大統領に渡すことを考えている。4年前には日本の女性アマチュア合唱団が来たので会った。子どもの世代にはかつての親や祖父母が犯した核実験等の過ち等はさせない。私たちは各学校の一角にコーナーを設けて、いつでも閲覧できる資料を提供している。戦争だけでなく、潜水艦で死んだ人のことも書いている。プロ・アマ・障害者達による慈善コンサートなどをしてお金を作り、子ども達の医療費や事業費としている。世界の子ども達の絵も交換していて、参加した人には証書を送っている。日本の子ども達からの絵は病院に送った。

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タタール人アシアンさんの話
 この組織はソビエト時代から45年の歴史がある。このアルバムには色々な人が書いているが、ロシアの大統領への報告書としてまとめる予定で、国連で取り上げてもらつて、解決してもらうのが最終的課題。環境問題や地雷のことも、私たちの心配していることを知らせたい。

平和委員会会長の話
 私たちは肌の色が違ったり、宗教が違っても、求めるものは1つだ。仕事をして平和に生きる。子ども達のために一緒に闘おう。 

被爆者村田さんの話
 共通の課題として、この地球を青い空のまま子ども達に譲りたい。生き残った被爆者の使命は次世代の人に教え、話すこと。今日も私たちの団体はエジプトに1人、アメリカに2人代表を送って訴え続けている。被爆者として初めてロシアへこられたことは素晴らしいことだと思っている。アメリカに核兵器をなくせといいながら、ロシアに言わないのは不公平だ。

平和委員会会長の話

同じ意見だ。放射能の残留はどうなっているか。

被爆者村田さんの話

今は科学的に分析しても殆どない。

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ニーナさんのお話

● チェルノブイリは現在稼動を中止しているが中心から30キロ地点に国内から放射性廃棄物が運び込まれている。この地点にはいまだに故郷から離れることを拒否しているサマショールとよばれる人たち、300人が暮らしている。
● 1991年5200万人の人口は2006年には4600万人となった。
15年間に実に600万人が亡くなっている。2020年には2500万人になるだろうと予測されている。死亡10に対して出生は1の割合。子供が一人生まれたら8000グリーブナ。(約32000円)現在の平均寿命 男性61歳 女性63歳
● 生活は向上したが精神面で荒廃している。ソ連邦の時代はよかった。大統領選に向けて新聞にユーモラスな政治批判を投稿している。
● 年金は100ドル。(500グリーブナ) パン1個20グリーブナ
● チェルノブイリの被災者のうち子供たちだけ医療費は無料。
民間人は被爆証明書がないので有料。自分も証明書はない。
● マカレヴィッチの小学校のたった一人の先生は卒業生のナージャ。
以前7~80いた生徒は今では全校で7名。
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ニーナさんの詩 はだしのゲン

ヴァシレンコ・ニーナ・ミハイロヴナ

 はだしのゲンが世界を行く
 国から国へ 家から家へと
 鶴たちが谷間の棲み処へと飛び行くところ
 青空に太陽が輝くところを

 ヒロシマの地獄から脱出した
 幼い善良なもの
 子供の目で見たことすべてを
 彼は永久に忘れることはない
 身近な者の痛みや傷、そして非業の死は
 少年の心臓を突き刺した
 息もたえだえに炎や灰の中をくぐり抜け
 彼ははだしで進む

 中沢さんの本の一言一言が
 ミュージカルや映画の一こま一こまで語られますように
 はだしのゲンが世界を行く
 穀物の種をまくがごとく、平和の種をまきながら

 強く、たわわに実った穂をつけた
 背の高い麦に成長しますように
 平和を守りつつはだしのゲンが世界を行く
 われわれもまた彼とともに歩む

 ゲンはさまざまな言語で語る
 “地上に平和はなくてはならぬもの”と
 ヒロシマの死よ バクダッドの涙よ
 終わりにしてください 戦争はいらない!
 爆弾やロケット戦車や大砲など
 みんな鋳直しておもちゃをつくりましょう!
 「皆さん どうぞ平和の中に生きてください!」
 ヒロシマに住んでいたゲンはそのように願っています
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ミュージカル「はだしのゲン」ヤロスラブリ国際演劇祭出展記念 「ヤロスラブリ原爆展」

2007年10月26日から11月1日
プロジェクト・ゲン代表 浅妻南海江

 昨年11月30日ロシアの古都ヤロスラブリでミュージカル「はだしのゲン」が世界的に評判の高いヴォルコフ国際演劇祭に参加しました。ヴォルコフ劇場は1750年創設のロシア最古の劇場で、毎年国際演劇祭が行われています。     
 これに呼応して当地で核兵器廃絶と日本の憲法第9条を伝えるためのロシア初の「原爆展」が開催されました。
 主催は平和原爆展と世界に9条を広める会(準備会)、企画は旅行代理店「ユーラスツアーズ」、ロシア側の受け入れ団体は「チェルノブイリ同盟ヤロスラブリ支部」。責任者のヴァロージャ・クローミンさんは軍人で、チェルノブイリの事故の時除染作業に派遣され被曝された方です。
 今回私は友人の坂東弘美さんと「ゲン」のウクライナ語の翻訳者ニーナ・ミハイロヴナとボランティアスタッフとしてこの企画に参加しました。
 古色蒼然とした建物が「原爆展」の会場でした。当初、「こんなに目立たない場所で?」と心細く感じましたが学校帰りの生徒や学生がグループで訪れ、予想以上の来館者がありました。
 会場ではパネルや写真も展示され、「母たちの祈り」という広島平和文化センター制作の30分ほどのDVDが繰り返し放映されました。今回展示会と平行して学校や平和団体等の外部団体での被爆証言が行われ、広島の被爆者である村田さんは時間の許す限りあちらこちらで講演をしました。展示会場の様子とあわせて後半の外部講演会場でのロシア人との対話をご覧ください。

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会場のアルスフォーラム 
現地ではかなりよく知られた会館

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さだ子のパネルと千羽鶴

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オリヅルの実演は大人気

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↑会場には核兵器廃絶の署名用紙がおかれ、
多くの市民がサインをする姿が見られた↓
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一人の婦人が亡くなった自分の息子と白血病で亡くなったさだ子のこと、そして平和な世界であるよう、との祈りを込めた自作の詩をみんなの前で披露。 ニーナさんも負けずに「ゲン」の詩で応戦した(*)。

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DVDに見入る子供たち

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「平和ということを考える時、どうしてでも一番初めに原爆に遭うた人がその立場に立たにゃならんのです。戦争さえなかったらこんなことにはならんかった。」目に負傷し、盲目になった夫人の言葉が胸を打つ...


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