2010年05月06日

まとめ

 今回のニューヨーク行きにあたり、「石川県原爆被災者友の会」の事務局長Nさんの強引とも言える誘いがなければ実現しなかったかも知れない。又作者中沢先生の奥様もニューヨーク行きを勧めてくださった。お二人が大変熱心にゲンのニューヨーク行きを勧めてくれたお陰で、ゲンは今、ニューヨークの原爆展で多くのアメリカ人、そしてNPT再検討会議の関係者の目に触れている。
 又、Nさんは訪問証言をする先々の学校でゲンのことをお話してくださり、なんと数件の注文までとってきてくださった。
 又、同行の坂東弘美さんは心いっぱい、そして愉しくて仕方ない、という様子でニューヨーク滞在中ゲンのPR に力を注いだ。黄色のタオル地にゲンの顔の付いた黒のTシャツを着て街中を闊歩したり、行進の時の横断幕を縫ったりと、そのエネルギーたるや半端ではない。 (その力の入れようは日本から持参した食品の多さからも分かる)
 
 坂東さんの友人であるKさんご夫妻の尽力で通訳のTさんとも出会えたし、国連international schoolでの授業も実現した。
 又宿舎の管理人E さんも通訳探しやDVDが上映できる学校など当たってくださった。誰一人として知人のなかった私達には彼女は強力な助っ人であった。アラン・グリースンさん、西多喜代子さんなどプロジェクト・ゲンのメンバーの強力な下支えは言うまでもない。
  先日被団協から受けた連絡によると5月6日から28日まで原爆展会場に展示された英語版『はだしのゲン』は日本被団協事務局次長のKさんが帰国する際、原爆展のお礼として国連軍縮局のドゥワルテ国連上級代表に直接手渡され、国連図書館に置いていただくことになった。国連関係で今後この本がどのように活用されるか期待している。  
 平和とは存在するものではなく、存在する状態をさす言葉であるとおもう。それは常に流動的で不安定なものであろう。それは与えられるのもではなく、監視の目を怠れば、その状態は徐々に瓦解していく。
 世界中で平和・核廃絶について考える人が多くなればなるほど平和の状態はより確固としたものになっていく。
原爆を体験した作者の描くゲンは今日も又、海の向こうの国々で様々な言語で若者達に平和のこと、核兵器がいかに恐ろしいものであるかということを語り掛けていることであろう。
 ゲンに共感する若者が増えれば増えるほど、人類の悲願である核廃絶への道は決して閉ざされることはない。ゲンよ、がんばれ!  
(文責 プロジェクト・ゲン 浅妻南海江)


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帰国

 Tさんは昨日ワシントンDCに帰っていった。今日は私達の帰国だ。日本人留学生専用のこの宿舎、滞在中に顔見知りになった人もあり、管理人のE さん共々見送ってくださった。
 60代後半の我々2人の個人旅行は大冒険であった。
 しかしホテルでは味わえない面白い経験であった。      
 最後の最後にハプニング。帰途、ニューアーク空港で日本人と思しき荷物配送係りの女性がおしゃべりをしながら仕事をしていた。彼女、コンチネンタル航空を間違えてユナイテッド航空のラベルをケースに添付してしまい、坂東さんのスーツケースは何と上海に向けて発送されてしまった!無事彼女の手元に戻ったのは2日後であった。
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2010年05月05日

国連international schoolで DVD を使っての授業

 今回のニューヨーク訪問の最大目的の1つはDVDを使って高校生か高校生を対象にゲンに授業をすることであった。これはニューヨーク行きを決めて以来の最大の難問であったが運よく坂東さんの友人を通じて国連international school(UNIS)が受け入れてくださることになった。
 学校に入るためには受け付けでパスポートを提出し、替わりに証明プレートを受取る。
 日本語学科の津田先生が出迎えてくださる。
 日本語学科の教室に案内されると2つある教室には各々電子黒板があり、プロジェクターを使わずにPCから直接黒板に画面が映し出される。
 3年生の授業は午前8時5分から9時50分まで。授業時間はかなり長いが、アニメは80分あまり。原爆投下とゲンの妹の誕生までの40分ほどをアニメ鑑賞にあて、残り時間は質問や話し合いをした。

 このクラスの生徒は3人。1人は日本人の両親でハワイ育ちの女生徒は「原爆が思っていたよりひどくて怖かった」。1人はパキスタン人とインド人の両親。あと1人は母が日本人で父はパキスタン人。「原爆はネットで見たことがあるが、今朝までイメージが湧かなかった」。「被爆者の視点で描かれていて今までの印象と違った」と感想を述べた。
 「漫画なので我慢ができるけど、映画だと声もつけてあるので怖い」というコメントや「次の世代も影響があるか」などの質問が出ました。「
 将来何になりたいか」という坂東さんの質問に女生徒は「ダンサーか科学者」、男子二人は「医者になって人を助けたい」「言語学者」と答えていた。日本語の授業なので皆日本語で話してくれた。

 授業が終わり津田先生は少し時間だあるということで私達は色々なお話を先生から伺った。   
UNISでは国連の公用語である英語、フランス語、中国語、スペイン語、ロシア語、それにアラビア語は用いられている。さらにドイツ語、イタリア語、日本語を選択して学ぶことが出来る。この学校には異文化や、言語価値に関するさまざまな問題が山積しているそうである。「まさにシュークリームのクリームのように」と先生は幾度となく言われた。
多言語教育は素晴らしいが、挫折する例も多々あるという。先ずは自国語に自信を持たせることが肝要、とのことであった。
 UNISは小さな国際社会。どうぞこれらの子供達が寛容な大人に成長して、国際社会の中で平和のために力を尽くしてくれることを切に願う。
 午後1時5分から55分までの1年生の授業は19名。
 時間的には大変短いので前日から1年生にはどの場面を見せるか思案していたが、結局
原爆投下の場面はあまりにも凄惨で子供達には強すぎる、との先生のアドヴァイスもありゲンの家族が幸せに暮らしている場面までとした。
 チラシを配ると子供達はザワザワ。何か話したくてたまらない様子である。いざアニメが始まると興味津々である。笑ったり、しゃべりながら見ている。知っていること、感じていることを表現したいのだ。先生によるといつもの授業よりよほど静かだ、ということであった。

 生徒からは「なぜ作者は生き残ったのか」「被爆者は今でも生きているのか」「放射能は次の世代にも影響あるのか」と質問した。彼らはヒロシマ、ナガサキという日本語は知っていても、被爆者という言葉は知らなかった。
 「今国連ホールで原爆展が開催されており、被爆者の方々がNYの学校にも出かけて被爆の体験をはなしている。皆さんも是非お父さん、お母さんと一緒に原爆展を見に行ってください。」と私は授業を締めくくった。

 時間をオーバーすると後のスケジュールに差し障り、迷惑をかけるので生徒からの質問時間は少ししか取れなかったことは残念であった。しかしゲンはUNISに残り、今後も生徒達に自分の体験を語り続けていくことであろう。
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2010年05月03日

「反核医師の会」現地集会に参加

 タイムズスクエアー近くのSEIU1199ビルの33階で10時15分から反核医師の会の現地集会があるということで出かけた。ところが会場に着くと、水漏れでエレベーターが故障しているとのことで、急遽会場が変更になった。
 
 会場にはアメリカ側の3人のゲストAmerican Public Health Association (APHA)会長のサイデル医師、NY市医師会組織の会長のキャシー・ファルゴ氏、IPPMW(核戦争防止国際医師の会)の全米中央組織でオルグ活動担当のジョン・ローレンズ氏、韓国の平和ネットワークのキム・マリアさんを含め20名ほどの出席者。

 American Public Health Association (APHA)会長のサイデル医師のスピーチ。
* 「1996年に国際司法裁判所は、<核兵器の威嚇または使用は、一般的に国際法に違反する。>」との勧告的意見を出し、<核兵器禁止条約>の早期締結を目指してきた。日本の医師会が国際司法裁判所に向けて署名を届け、大いに働いてくれた。しかし、核軍縮に動くべきだと決めたのに、現状は何の進展もない。」と、遺憾の意を表明した。

 IPPMW(核戦争防止国際医師の会)の全米中央組織でオルグ活動担当のジョン・ローレンズ氏。 
*今や日米別々に活動している余裕はなく、共同でやっていかなければならない。カール・セイガー博士によれば、気候変動によって10億人の命が奪われる。我々は核兵器による科学的・医学的影響について知った。核抑止論に依存する限り、大きな問題であり、日本は核の傘に依存している。これは目につきやすい目標をわざわざ持っているようなものだ。そうならないよう、ご尽力いただきたい。明日は国連で核兵器が使われた場合、気候変動にどう影響するかという会議がある。ABCCに元いた日系米人のジェームスヤマザキ医師の詩を紹介したい。
 (要旨)長い道程の行進も一歩一歩進んで行けば勝ち取れる。多くの石が落ちてくるが、一つ一つは何でもない。組合の元で手を繋いで行けば、何でも達成できる。一人ひとりバラバラでは何も出来ない。

質疑応答
【質問】核兵器禁止条約を今回の会議で是非締結したいが、アメリカ国民はどれくらいの関心を持って活動しているか。
【会長答】どれくらいの人命が広島と長崎で亡くなっているか知らさないと、人々の意識からなくなっている。それぞれのアメリカ市民でも違う。インド・パキスタン間の小規模な核戦争でも大きな問題であることを小さな子ども達に知らせていくことが大切だ。
【ジョン答】アメリカのメディアの影響もあり、例えばアルカイダのような組織テロならある程度は分かる。その他は無知だ。「自分達の核によって自分たちが守られている」と思っているので、教育していく必要がある。イランについてアメリカ人はイランに核兵器を入手させてはいけない。自分たちが持つことによって困ることになるという意識には及んでいない。

【質問】マーシャル島の犠牲者達は何と呼ばれているか。ネバダとか、他の核実験による被害者はいるか。
【キャシー答】北東部ユタ州のダウンウィンダー(風下の人々)。ビキニなど、政府に認めさせるのにアメリカでは時間がかかった。
【サイデル答】アメリカの癌学会で子どもの甲状腺癌が多く発生していることが認められた。ネバダでの核実験反対デモで多くの人が逮捕されたことで、核兵器の削減に繋がった。

【韓国の平和ネットワークのキム・マリアさんの発言】
*広島と長崎でピースデポのインターンをした。8月16日に韓国被爆者の通訳をして、歴史上あったことを始めて知った。通訳することは辛いけれど、誰かが伝えていかなければならない。一般の韓国人に伝えていかなければならないと思った。犠牲者70万人のうち、10万人が朝鮮人と韓国人。彼らは書くに強く反対する理由を持っていない。韓国は反核の運動がしにくい社会だ。今回の会議に韓国から来た人は少なく、メディアも来ていない。パン・ギムンさんの演説にも、たった一人マイナーなメディアが来ていただけ。私は帰国したら積極的に活動していきたい。

【大阪の医師】毎年韓国に平和活動で行っている。去年はチェジュ島と光州に行った。帰国後、広島の平和センターの解説に中国語と韓国語を入れるよう、中国新聞に投書した。東アジアから反核のうねりを上げていく事が重要だ。

【I国会議員】母親が入市被爆し、広島で育った被爆二世だ。党首と3人の議員が来ている。NTP会議の議長に要請書を出した。世界でイランだけ大統領が来てスピーチをした。日本は外務副大臣しか来ない。北朝鮮の核実験やイランの動きがここ1ヶ月問題だ。核開発疑惑再検討会議の成功に向け、力を合わせよう。

【民医連の医師】会議で被爆者を苦しめるのも助けるのも医者という発言があった。全米の医師の取り組みが出始めたと感じた。

 アメリカ人ゲスト退場後、プロジェクト・ゲンも10分ほど宣伝の時間を頂いた。

 午後から楽しみにしていた<核兵器のない世界へ>「女性交流会in New York」が同じ建物で開催されたが、満員で入場ストップ。ゲンにチラシを係りの人に手渡し、明日の国連international school の授業に備えて早々に帰宅の途についた。
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New York public library

  図書館は石造りの立派な建物である。観光の名所でもあるこの建物の前にはライオンが2頭。1頭は忍耐、あとの1頭は幸運を現しているとHelena さんに教えられる。ここでヘレナさんとマリーさんとはお別れ。NY public libraryはアメリカ最大規模の図書館の一つである。この場合のPublicは公立という意味ではなく公共という意味で、設置主体はニューヨーク市ではなく、独立法人であり、財政的基盤は民間からの寄付によって成り立っているという。
 入館時、ここでも簡単なかばんチェックを受けた。来訪の目的を告げると担当者の女性はPCで検索、するとディスプレイにゲンの1・2巻が現れた。これは5年前、ある日本人篤志家が全米約3000近くの図書館にゲンの1.2巻を寄贈したときのものである。担当者は「購入するのには時間がかかるが寄贈ならすぐに受け付ける。」というので3巻から10巻を寄贈した。この大きな図書館にもゲン全巻が入ったと思うと訪問しただけの成果はあった。
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原爆展

 今回のニューヨーク行きの最大目標は5月3日から28日までNPT再検討会議に平行して行われる原爆展でのゲンの展示であった。来館者にゲンを是非知ってもらおうと、気合を入れてのニューヨーク入りであった。原爆展は日本被団協の主催であり、私達はその一角でゲンを展示することになっていた。先日の疲れもあり当日到着したのは10時過ぎであった。
 今回もセキュリティ・チェックを受けて会場に入る。館内にすでにかなりの来訪者があった。 到着直後、被団協側から場所的な問題で、展示は6日からにしてほしいとの要請があり、代替案として5月28日までの原爆展開催期間中は全10巻とチラシを展示し、
 それらの本は国連か、学校に寄贈することにする、ということであった。
 いささか拍子抜けをしたが、考えてみれば他団体主催の原爆展にゲンを置かせてもらうことだけでも有難い。「石川県原爆被災者友の会」事務局長の西本多美子さんの尽力大である。
 私達はしばらく会場に留まり来館者にチラシ配りをしていると、ジャーナリストらしい1人の日本人女性が近づいてきた。NY在住の映画プロディユーサーSさんという方である。ゲンのフアンで、「今日は別の用事で来ているが是非何か協力できることがあればいってほしい」、といって名刺を頂いた。
 今、私達はニューヨークでゲンの種まきをしているのだと強く思った。すぐに結果は出なくても先ず『はだしのゲン』という優れた平和の教科書があるということを国連の中でアッピールできたことは、後に大きな成果となって現れるであろう。種の成長を見守ろうと思う。

 実はHelenaさんとは原爆展会場で11時ごろ会うことになっていたのだが、事の顛末ですっかりそのことを失念していた。先ずはゲート前に陣取っているマスコミ各社にアタックしようと会場を出た途端、友人達と一緒に行列に並んでいるHelenaさんとばったり。まさに天の配剤としか言いようがない。
 マスコミは私達が近づいてゲンのPR をしても12時のニュースのためであろうか、緊張状態で目もくれない。
 <腹が減っては戦はできない>、ということで先ずは腹ごしらえ。そこで作戦を練った。
 チカさんは折に触れてアドヴァイスしてくれた。平和活動家のHelenaさんは国連で働いていた経験を持つ。5ヶ国語を話すそうである。Helenaさんの友人76歳フランス人のマリーさんと5人でレストランへ。結局、Helenaさんのアドヴァイスで図書館をターゲットとし、先ずはNew York public libraryを訪れることにした。食後、私達は図書館へ向かった。
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2010年05月02日

Helena Garanさん、Mさんとの出会い

 ヘレナさんはニューヨーク近郊のビンガムトン(ニューヨークの西北約250キロにある人口約15万人の都市)に住むオランダ人女性である。我々がニューヨーク行きを決めて、DVDを上映する学校や組織を探しているとき、たまたま1人の女性Yさんから電話があった。その方の話では高校時代の同級生のUさんが四国遍路をしているとき、同じく遍路をしていたヘレナさんに出会った。
 ヘレナさんは四国に行く前に広島、長崎を訪れていた。彼女の帰国後、U さんはメールを受取った。それによると彼女は地区の<Peace action>のメンバーで毎年8月6日に当地ではヒロシマ、ナガサキの追悼行事が行われており、スピーチを依頼されたそうである
 ヘレナさんは「日本人の若者が原爆投下についてどのように考えているか、あなた方はアメリカ人に何を知ってもらいたいか、私は日本人からアメリカ人にどのようなメッセージを伝えることが出来るのだろうか」、と質問してきた。元高校教師のUさんはこれを機会に高校生や大学生のアンケートを思い立ち、同僚の先生や高校時代の同窓生がこれに協力。アンケートやメッセージは英語版『はだしのゲン』と共にビンガムトンに届けられた。
 この交流の一部始終をYさんから聞いてゲンは平和のために、人と人、国と国の架け橋として働いていることをうれしく思った。ニューヨークへ出かける前に私達はヘレナさんと何度か連絡を取り合い、そして、彼女はとうとうニューヨークまで私達に会いに来てくれることになった。

 5月2日タイムズ・スクエアのホテルのロビーに目印の大きなつばの付いたブルーの帽子のヘレナさんが私達をまちうけていた。白髪の穏やかな顔付きの方であった。

 Mさんは元英語の先生で、ヘレナさんとUさん達の交流の翻訳サポートをしている方である。   
 今回は被爆者の方に誘われてのニューヨーク入りである。彼女もヘレナさんに会いたいということで私達はホテルのロビーで落ち合う約束をしていた。Mさんもヘレナさんも私達も互いに面識はない。すなわち皆知らないもの同士がゲンのお陰でタイムズ・スクエアのホテルのロビーで初顔合わせをしたのであった。
 私達は彼女から英語で書かれたオリヅルの作り方を頂いた。海外、何処でもオリヅルフィーバーは盛んである。
 オリヅルもゲンも平和を願う人と人、国と国を結びつける大きな力を持っている。
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待望の通訳Tさん到着

 アメリカ在住の坂東弘美さんの友人であるK さんがmixiで募集をかけてくださり、間髪をいれずにTさんが応募してくださったTさんは21歳。スポーツ系の元気で颯爽としたお嬢さん。
大学4年生の彼女は目下カリフォルニア大学留学中であり、現在は国連開発計画ワシントン事務所で研修中。日本では国連難民高等弁務官事務所で13ヶ月インターンをしていたという。
 お父様の仕事の関係で小学校4年間を香港のインターナショナルスクールで過ごし、英語の発音はネイティブ並である。アメリカの法律の勉強をしている、という彼女から私達は色々なことを学んだ。アメリカでは条約で取り決めたことは国内法になり、それを守らない場合は法律違反であるということも知った。京都議定書からの脱退もこのような背景があった、ということであった。
 在ニューヨーク中、4日間、彼女は私達に付ききりで通訳としてだけではなく、あるときはガイド、あるときは保護者、あるときは仲間として行動してくれた。
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2010年05月01日

国連International Schoolを探して探して、サボってニュ-ヨーク見物

 到着翌日の5月1日は国連やゲンのDVD を上映することになっている国連international schoolを下見することにした。私達は二人一部屋、1泊70ドルの宿舎から地下鉄を乗り継ぎ1時間ほどかけてから毎日マンハッタンまででかけた。27ドルで1週間乗り放題のメトロカードを利用した。
 地下鉄の駅にはエスカレーターがないところが大半で、年をとった人は市バスを利用するという。
 ニューヨークの地下鉄がいつごろから建設されたのかは知らないが、ロシアやウクライナで見た彫刻の飾られた芸術的な駅とは程遠く、薄暗く、少々疲弊した感じである。
 車内は満員ということもなく、新聞を読んでいる人もよく見かけた。男性はすぐに立って席を譲ってくれた。女性も立って席を譲ってくれるの”Don’t worry, please. I am still young” というと周りの人が一斉に笑った。
 国連では見学者の入館が許可されており、多くの人たちが並んで順番を待っている。水分の持込は禁止、入館者はペットボトルの水を入り口付近で捨てていた。手荷物も検査された。国連ホールでは原爆展の他、カンボジアの地雷展など3.4の展示会が企画されていた。原爆展のスペースは思ったより小さい。二日後の開幕に備えてほぼ準備は終わっていた。

 地下には国連グッズや各国の民芸品を取り揃えたかなり大きな規模の店がいくつかあった。キーホルダー、チョコレート、タオルやマウスパッドなど国連マークの付いた、ここでしか買えない物を求めて買い物客がちらほら。中にはちょっとしたカフェがありそこで一休み。
 これが何か催し物の開催中ならさぞごった返してこんなにはゆっくりできないだろうと思う。
 下見は正解であった。

 次の目標は5日に授業をする国連International School。国連の守衛さんに聞いては見るものの私達には半わかり。
 とりあえずいわれた方向に向かって歩き始めたが結構蒸し暑い日である。道行く人に幾度も学校への道を尋ねたが案外所在も名前も知られてはいない。それではタクシーでと思い、客が乗っていないので路肩で手を上げても中々停まってはくれない。後で知ったのだが屋根のライトがoff dutyになっていたのかもしれない。
 ついでだが車体が黄色のニューヨーク公認のタクシー以外はもぐりで法外な料金をふっかけられるので注意するように、と旅行前から宿舎の管理人Eさんから言われていた。ニューヨークのタクシーは自動ドアではなく、乗り降りの際はセルフサービスである。又、料金にサービス料15%から20%を加算するのが普通だということだ。
 タクシーに乗ればサービス料は15%?20%?と考えなければならず、このサービス料という制度はわずらわしいのではないだろうか。
 兎に角、我々は歩いて歩いて疲れ果て、ようやくeast river sideにあるUNISを見つけた。黒人の守衛さんに「5月5日に授業に来るので担当の先生に連絡してはもらえないか。」と一応頼んではみたが「土曜日なのでいない。」という返事だった。
 これで5月5日には授業に来ることが出来る、と一安心。後は自由時間。ニューヨークの街を観光しようと相談がまとまった。先ずはエンパイアステートビルへ。 その後2階建ての市内観光バスでグランド0(9.11の現場)やチャイナタウンを見学する。
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2010年04月30日

4月30日 日程(アメリカ現地時間)

 コンチネンタル航空CO8、成田16時35分発、約12時間のフライト。
 現地時間5月30日16時30分、ニューヨーク州の隣のニュージャージ州にあるニューアーク・リバティ空港に到着。マンハッタンから南西約25kmに位置し、コンチネンタルは直行便を乗り入れている。
 ニューヨークにはジョン・F ・ケネディ国際空港とマンハッタンから比較的近いラガーディア空港の3つの空港が機能している。JFK は国際線が発着する大空港で日本から発着する国際線はほとんどこの空港に到着する。ラガーディアはアメリカ国内便、カナダからの便が多い。
 空港には私達2人が6日間お世話になるアパートの管理人のEさんとタクシーの黒人運転手さんが出迎えてくださった。右も左も分からない私達2人連れには宿舎まで約1時間、$80のタクシー代は高くはない。ニュージャージ州では建物も低く、アメリカに来た!という実感は今ひとつであったがニューヨークの街に入ると建物は高く、ゴミが目につき、なんだか雑然とした感じである。
 イーストリバーを挟んでマンハッタンの対岸にブルックリンはある。私達の宿泊する日本人留学生用の宿舎LSがあるこの街には多くの黒人が居住する。
 2005年から2007年の国際調査によると約90万人が居住しているという。これはニューヨーク市の全黒人人口の40%を抱えていることになる。〔Wikipedia参照〕
 マンハッタン橋を通り、宿舎へと向かう大きな通りの両側には並木道があり、19世紀に建てられたレンガ造りのメゾネット式のアパートが立ち並ぶ。それそれの家には地下室があり、間口は2軒ほどであろうか。門扉はしゃれた鉄製である。外観は同じようなアパートではあるが富裕層の住む居住区と黒人の多い居住区は道を挟んで分かれている。富裕層の住むブロックは家の前に花や植物を置き、一見生活にゆとりがある、と感じたが、私達の宿舎辺りでは道行く人はほとんどが黒人で、ものを食べながら歩くのでゴミはポイ捨てである。
 驚くほど太っている黒人女性を多く見かけた。食べることに精力を注いでいる、といった感じである。
 教育された人たちは食生活に注意を払うが、教育されていない人たちは手っ取り早く、安価に栄養を補うことの出来るジャンクフード、ファーストフードを食べる傾向にある、といわれているがそれを実感する。
 いづれの家も駐車場を見かけず、道路両端には公然と不法駐車の列である。ニューヨーク市内でも不法駐車の列をよくみかけた。
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