創立200年の歴史を誇る古い学校に行きました。数学とスポーツに力を入れている学校で、学生の数学の世界コンクールでは世界1位になったとことが2回あるそうです。10時15分から11時30分まで、DVDと村田さんの話。ここでもバロージャが被爆者と原発事故の関係を説いていました。実際DVDは、1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験で、日本漁船「第五福竜丸」が被爆し、無線長の久保山愛吉さんが「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い遺してその年に亡くなった事も伝えており、この事件をきっかけに日本の原水爆禁止運動が急速に高まったとしています。
【被爆者村田さんの話】
1945年の8月6日の朝。5歳だった私は家にいて、戦闘ごっこをして遊んでいた。瞬間に光ったと思ったら、隣の家の、家の中まで吹き飛ばされて奇跡的に助かった。46年末まで寝たきりで何度も死に掛けた。4人の姉のうち、下2人の姉は1人は即死、1人は1ヵ月火傷で苦しみ、肺にうじ虫がわき、うじ虫とともに9月10日に死んだ。母は8月8日、グラマンの機関掃射で死んだ。兄は士官学校を出て空中戦で死んだ。将来ロシアを背負って立つ皆さんに、ぜひ知ってもらいたいことを話す。
62年前原子爆弾は3発だった。7月にアメリカがネバダで実験し、8月6日と9日に広島と長崎に落とした。この時点で地球上では核兵器はなくなった。その後旧ソ連とアメリカが核兵器をどんどん作り、最高の時は地球上に5万発の核兵器があった。スウェーデンの国立アカデミーが作った「1985年6月に世界で核戦争がおきたらどうなるか」という本は世界の学者が書いていて、ソビエトの学者も書いている。8億5000万人が即死。数ヶ月のち、生き残った者のうち、45%が死ぬ。幸いに生き残った人たちも、核シェルターから出たら死んでいく。それでも辛うじて生きた人も、汚れた空気でやがて死んでいく。最後に生き残るのはゴキブリとネズミだけ。マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた実験は、広島型の1000倍のものだった。モスクワの上空でミサイルが落ちたら、ヤロスラーブリも地獄の状態になる。もし間違ってボタンを押したら誤差は1キロもなく30分後には落ちている。
テレビを5時間くらい借り切って私がロシアの人に話せればいいのだけれど、私にはその力がない。国民の声で指導者を包むことができると私は信じているので、今日話を聞いた30人が、それぞれ5人に話してくれれば、150人に伝わることになる。今見たビデオで、レーガンとゴルバチョフが握手していたが、それで、核兵器が5000発減った。今は28000発になった。この国はあなたたちのもの。若い人たちに実現してほしい。あなたたちが頑張って素晴らしい国を作ってほしい。
●日本の若者は核廃絶のために、どのように運動しているか?
関心のある者、ない者、両極端だ。8月6日と9日の原水禁世界大会では、ロシアからは被害者がくるが、アメリカやフランスからは数百人の規模でやってくる。日本では数千人の規模で集まる。
【副校長の話】
学校を代表して、本日のお話に感謝する。学生達は前から広島・長崎は知っていたが、現代史の学習の中で、これからも授業として話していく。第二次世界大戦ではソ連でも2700万人死んだ。核廃絶は世界が相手の戦いである。緊急の問題として平和が大切であるということは子ども達も分かっている。だから、日本の皆さんと私たちの努力が1つになり、大きな力になることを希望する。今のところクリントンもブッシュも核廃絶にサインをすることはなかったが、ロシアは他の事に一生懸命だ。平和の為に努力すべきだ。
講演の後の村田さんは列を作って、レジメにサインを書いて欲しいと待つ学生に囲まれて大変でした。
【被爆者村田さんの話】
1945年の8月6日の朝。5歳だった私は家にいて、戦闘ごっこをして遊んでいた。瞬間に光ったと思ったら、隣の家の、家の中まで吹き飛ばされて奇跡的に助かった。46年末まで寝たきりで何度も死に掛けた。4人の姉のうち、下2人の姉は1人は即死、1人は1ヵ月火傷で苦しみ、肺にうじ虫がわき、うじ虫とともに9月10日に死んだ。母は8月8日、グラマンの機関掃射で死んだ。兄は士官学校を出て空中戦で死んだ。将来ロシアを背負って立つ皆さんに、ぜひ知ってもらいたいことを話す。
62年前原子爆弾は3発だった。7月にアメリカがネバダで実験し、8月6日と9日に広島と長崎に落とした。この時点で地球上では核兵器はなくなった。その後旧ソ連とアメリカが核兵器をどんどん作り、最高の時は地球上に5万発の核兵器があった。スウェーデンの国立アカデミーが作った「1985年6月に世界で核戦争がおきたらどうなるか」という本は世界の学者が書いていて、ソビエトの学者も書いている。8億5000万人が即死。数ヶ月のち、生き残った者のうち、45%が死ぬ。幸いに生き残った人たちも、核シェルターから出たら死んでいく。それでも辛うじて生きた人も、汚れた空気でやがて死んでいく。最後に生き残るのはゴキブリとネズミだけ。マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた実験は、広島型の1000倍のものだった。モスクワの上空でミサイルが落ちたら、ヤロスラーブリも地獄の状態になる。もし間違ってボタンを押したら誤差は1キロもなく30分後には落ちている。
テレビを5時間くらい借り切って私がロシアの人に話せればいいのだけれど、私にはその力がない。国民の声で指導者を包むことができると私は信じているので、今日話を聞いた30人が、それぞれ5人に話してくれれば、150人に伝わることになる。今見たビデオで、レーガンとゴルバチョフが握手していたが、それで、核兵器が5000発減った。今は28000発になった。この国はあなたたちのもの。若い人たちに実現してほしい。あなたたちが頑張って素晴らしい国を作ってほしい。
●日本の若者は核廃絶のために、どのように運動しているか?

【副校長の話】
学校を代表して、本日のお話に感謝する。学生達は前から広島・長崎は知っていたが、現代史の学習の中で、これからも授業として話していく。第二次世界大戦ではソ連でも2700万人死んだ。核廃絶は世界が相手の戦いである。緊急の問題として平和が大切であるということは子ども達も分かっている。だから、日本の皆さんと私たちの努力が1つになり、大きな力になることを希望する。今のところクリントンもブッシュも核廃絶にサインをすることはなかったが、ロシアは他の事に一生懸命だ。平和の為に努力すべきだ。
講演の後の村田さんは列を作って、レジメにサインを書いて欲しいと待つ学生に囲まれて大変でした。