地下鉄の駅にはエスカレーターがないところが大半で、年をとった人は市バスを利用するという。
ニューヨークの地下鉄がいつごろから建設されたのかは知らないが、ロシアやウクライナで見た彫刻の飾られた芸術的な駅とは程遠く、薄暗く、少々疲弊した感じである。
車内は満員ということもなく、新聞を読んでいる人もよく見かけた。男性はすぐに立って席を譲ってくれた。女性も立って席を譲ってくれるの”Don’t worry, please. I am still young” というと周りの人が一斉に笑った。
国連では見学者の入館が許可されており、多くの人たちが並んで順番を待っている。水分の持込は禁止、入館者はペットボトルの水を入り口付近で捨てていた。手荷物も検査された。国連ホールでは原爆展の他、カンボジアの地雷展など3.4の展示会が企画されていた。原爆展のスペースは思ったより小さい。二日後の開幕に備えてほぼ準備は終わっていた。
地下には国連グッズや各国の民芸品を取り揃えたかなり大きな規模の店がいくつかあった。キーホルダー、チョコレート、タオルやマウスパッドなど国連マークの付いた、ここでしか買えない物を求めて買い物客がちらほら。中にはちょっとしたカフェがありそこで一休み。
これが何か催し物の開催中ならさぞごった返してこんなにはゆっくりできないだろうと思う。
下見は正解であった。
次の目標は5日に授業をする国連International School。国連の守衛さんに聞いては見るものの私達には半わかり。
とりあえずいわれた方向に向かって歩き始めたが結構蒸し暑い日である。道行く人に幾度も学校への道を尋ねたが案外所在も名前も知られてはいない。それではタクシーでと思い、客が乗っていないので路肩で手を上げても中々停まってはくれない。後で知ったのだが屋根のライトがoff dutyになっていたのかもしれない。
ついでだが車体が黄色のニューヨーク公認のタクシー以外はもぐりで法外な料金をふっかけられるので注意するように、と旅行前から宿舎の管理人Eさんから言われていた。ニューヨークのタクシーは自動ドアではなく、乗り降りの際はセルフサービスである。又、料金にサービス料15%から20%を加算するのが普通だということだ。
タクシーに乗ればサービス料は15%?20%?と考えなければならず、このサービス料という制度はわずらわしいのではないだろうか。
兎に角、我々は歩いて歩いて疲れ果て、ようやくeast river sideにあるUNISを見つけた。黒人の守衛さんに「5月5日に授業に来るので担当の先生に連絡してはもらえないか。」と一応頼んではみたが「土曜日なのでいない。」という返事だった。
これで5月5日には授業に来ることが出来る、と一安心。後は自由時間。ニューヨークの街を観光しようと相談がまとまった。先ずはエンパイアステートビルへ。 その後2階建ての市内観光バスでグランド0(9.11の現場)やチャイナタウンを見学する。
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